マツダの5チャンネル体制戦略を知る―オートラマ・チャンネル編
現在は「魂動」というデザインコンセプトを掲げ、各車デザインを中心に評価されて人気となっているマツダ。
そんなマツダにはかつて「5チャンネル体制」と呼ばれる戦略が存在していたのをご存じでしょうか。
5チャンネル体制は、販売ディーラー名を5つに分けて各ディーラー(販売チャンネル)を一つのブランドとみなし、独自の車種を投入することで販売力アップにつなげようという戦略でした。
この戦略が計画されたのはバブル景気の頃。ユーノス・ロードスターが世界中でヒットしたことで、得た利益を基にした更なるラインナップ拡大が1990年代初頭に始まったのでした。
この時期マツダの販売チャンネルは以下のように構築されました。
- マツダ・チャンネル
- アンフィニ・チャンネル
- ユーノス・チャンネル
- オートザム・チャンネル
- オートラマ・チャンネル
マツダはこの戦略により年間販売台数100万台という野心的な目標を掲げました。
しかし、蓋を開けてみると5チャンネル体制はニューモデルの乱立による混乱、マツダ車同士の競合、そしてバブル崩壊といった要因が重なり、結果としてマツダは経営困難に陥る事態に。
マツダとしては黒歴史といえる失策でしたが、ここで登場したニューモデルは軒並みマイナー車と化し、マニアの間で語り継がれています。
どんなクルマが登場していたのでしょうか。各チャンネルごとに紹介していきたいと思います。
今回紹介するのはオートラマ・チャンネルです。
目次
オートラマ・チャンネル
オートラマ・チャンネルはマツダとフォードが設立した販売チャンネル。
取扱いはフォードブランドのクルマ専門で、米国製・欧州製フォードのほか、マツダ車のバッジエンジニアリングモデルを販売していました。
オートラマ誕生のきっかけは1979年にマツダとフォード間で結んだ資本提携。これによりフォード車を取り扱うディーラー新設の機運が高まり、3年後の1982年に展開されたのがオートラマでした。
新チャンネル設立にあたり、それまでの自動車ディーラーとは異なるビジネスモデルを取り入れていたのも特色の一つ。具体的には、訪問販売は行わずに店頭販売のみ、新車だけでなく中古車やカー用品も取り扱うといった体制が整えられていたのです。
オートラマ・チャンネルの代表車種
ここではオートラマで販売されていたクルマの中から、マツダ製に絞って紹介。
フォードブランドの間口を広げる為、これらマツダ製フォードは重要な役割を担っており、国内需要のあるボディタイプが一通り揃えられていました。
フェスティバ
By IFCAR, Public Domain, Link
初めてのオートラマ専用車種として開発されたのがフェスティバ。
日本市場ではフォードブランドのみでの販売でしたが、開発はマツダが担当しています。
電動キャンバストップを用意していたのが特徴で、洒落たスタイリングが支持を集め好調な販売を記録。
途中からスポーツモデルのGT/GT-Xが登場。こちらは1.3L DOHCエンジンを搭載し、ボンネットのパワーバルジが印象的でした。
モデル末期にはGT-Xをベースにした特別仕様車GT-Aが登場。GT-Aは赤/白に塗り分けされたボディカラーに丸形ヘッドライトが特徴のレーシーなモデルです。
1993年にはフルモデルチェンジで2代目に移行し、Cピラーが大きく寝かされたクーペ風のスタイリングとなりました。
フェスティバ ミニワゴン
By Toyotacoronaexsaloon, CC BY-SA 4.0, Link
初代デミオのオートラマ版として登場したのがフェスティバミニワゴン。
デミオとはグリルデザインがわずかに違う程度で、中身はほぼ変わらず。
マツダを経営危機から救ったとされるほど大ヒットを飛ばした初代デミオと同じクルマだけあって、こちらも結構な台数が売れた模様。
レーザー
By Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, Link
ファミリアの姉妹車で、オートラマ発足時からラインナップされている主力車種。
ファミリアのモデルチェンジに合わせて5代目まで存続。
基本的にはフロントマスクやリアデザインの意匠変更がメインで、ファミリアの面影が残るスタイリング。但し3代目のBG型に限ってはファミリアとは大幅に異なる外観で、レーザー専用に3ドアハッチバッククーペボディが用意されました。
2001年にはラインナップから消滅し、フォード・フォーカスが後継車にあたります。
テルスター
カペラ/クロノスの姉妹車となるミドルクラスのクルマ。
レーザーと共にオートラマ発足時から登場した主力車種。
後述のテルスターⅡも含めると5代目まで存在。3代目のみベースがカペラ後継車のクロノスとなり、歴代で唯一3ナンバー車になりました。
ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバック、ワゴンが存在します。
5ドアハッチバックは「TX5」という名称で3代目までラインナップされていました。
ワゴンは3代目と4代目(テルスターⅡ)のボディには用意されず、5代目に切り替わるまでは2代目ベースのワゴンがしばらく継続販売されていました。
テルスターⅡ
By Mytho88, CC BY-SA 3.0, Link
テルスターⅡは1994年から復活したカペラの姉妹車として登場。
テルスターは既にクロノスベースの3代目にモデルチェンジしていた為、こちらはテルスターⅡと名乗って併売されました。
全体的に丸みを帯びていた3代目テルスターに対し、オーソドックスでフォーマルなスタイルなのが特徴。
また3代目テルスターが3ナンバーサイズへ拡大したのに対し、テルスターⅡは5ナンバーサイズをキープしており、当時のセールスでもその点がアピールされていました。
1997年に5代目テルスターへ吸収されます。
イクシオン
By CEFICEFI, CC BY-SA 3.0, Link
イクシオンは初代プレマシーの姉妹車で、1999年に登場。フロントマスクとテールライトのデザインが異なります。
プレマシーは時流に合ったコンパクトなミニバンとしてヒットしますが、イクシオンは直後に打ち出されたマツダ製フォード販売終了の方針が影響し、影が薄く販売は低調。
今ではめったに見られないレア車となってしまっています。
フリーダ
By Vauxford, CC BY-SA 4.0, Link
ボンゴフレンディの姉妹車としてデビューしたのがフリーダ。外観上での違いは格子状になったフロントグリルデザイン程度。
ボンゴフレンディ登場時に話題となった、ルーフが持ち上がりテントが出現する「オートフリートップ」はフリーダでも用意されていました。
1999年にはマイナーチェンジを受けてグリルが大型化されています。
スペクトロン
3代目ボンゴワゴンの姉妹車で、レーザー/テルスター同様オートラマ初期から存在する古参車種。
スペクトロンは乗用仕様のみの展開で、商用仕様のバン/トラックはJ80という別の名称で登場しています。
1995年に登場したフリーダが後継車に当たるものの、1998年までは併売されていました。
その後の展開
5チャンネル体制戦略の不振を受けたマツダは各チャンネルの統廃合や整理を実施。オートラマ・チャンネルでもその影響を受けました。
まず1994年に店舗名がオートラマ店からフォード店へ改称。1997年には会社名がオートラマからフォードセールスジャパンへ変更します。1999年にはフォードセールスジャパンはフォードによる買収を受け、フォード・ジャパンが設立されます。以降は2016年の日本市場撤退まで、フォード車の国内販売はフォード・ジャパンにより行われていました。
マツダ製フォード車はというと、フォードのブランドイメージ変革の為に全車種を販売終了する方針が2000年頃に固められ、徐々にラインナップを減らしていきます。2003年にイクシオンが販売終了すると、SUVのエスケープを除くすべてのマツダ製フォード車は消滅しました。
まとめ
今回はオートラマ・チャンネルで販売されていたマツダ製フォード車を紹介しました。
昔はそこそこ見かけたマツダ製フォード車も、今ではめっきり見かけなくなり、珍しい存在になっています。
フォードバッジを付けているマツダ車…今では新鮮に見えるかもしれません。
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