マツダ幻のブランド・アマティとは?
By IFCAR, Public Domain, Link
昨今のマツダは「魂動」デザインを武器にプレミアム路線へ進んでいると言われています。
そんなマツダにはかつて高級車ブランドを立ち上げようとしていた時期がありました。
「アマティ」と呼ばれていたそのブランドは1980年代後半から計画がスタートし、1990年代前半にはリリースされる予定でした。
今回はアマティの概要と設立の背景を解説します。
目次
アマティとは
アマティとはマツダが計画していた高級車ブランドのこと。
1980年代の終わり頃から、マツダではレクサスやインフィニティ、アキュラのようにアメリカ向けに高級車を販売する為の準備が進められていました。
1991年にアマティ設立を正式に発表、同時に1994年から販売開始とアナウンスしています。
アマティの展開はあくまでもアメリカ向けで、アマティ用に開発されていたクルマは日本ではユーノスから販売される予定でした。
結果としてこの計画は頓挫し、アマティは日の目を見ることなく1992年に中止を発表、幻のブランドとなってしまいます。
アマティ設立の背景
マツダは1980年代から、トヨタ・日産に次ぐ規模の自動車メーカーになるべく、拡大方向に舵をとっていました。その一環としてスタートしたのが、アンフィニ・ユーノス・オートザムを新設した5チャンネル体制です。
一方トヨタ・日産・ホンダではアメリカで高級車市場への参入を開始しました。1986年にホンダがアキュラを発表したのを皮切りに、トヨタはレクサス、日産はインフィニティを相次いで設立。「壊れないが、安物の大衆車」というそれまでの日本車に対するイメージを刷新すべく、高級車の投入が盛んに行われていました。
マツダが高級車ブランド設立に動いたのは、こうした他メーカーの動きが影響しています。
とはいえ1980年代のアメリカにおけるマツダは、ランクルやカムリが定番車種となっていたトヨタ、ダットサン時代からピックアップやZが親しまれてきた日産、シビックにアコードのヒットで現地生産まで始めたホンダなどと比較すると、それほど目立つ存在ではありませんでした。
しかしながら、1989年にデビューしたMX-5ミアータ(初代ロードスター)の予想以上の成功により、マツダは新規顧客を開拓できるポテンシャルがあると信じていたのです。
アマティ設立の準備
マツダは1988年にアメリカで高級車を研究するプロジェクトを発足させ、これが後にアマティ部門となります。
1991年のアマティ設立発表時には2台のセダンを投入予定であるとアナウンスされています。1台はフラッグシップモデルの「アマティ1000」、もう1台は恐らくミディアムクラスの「アマティ500」と思われます。
フラッグシップのアマティ1000用としてW12エンジンが開発され、1989年の東京モーターショーではこのエンジンが参考出品されています。
パンフレットやマーケティング戦略の資料も準備され、アマティ発足に向けて順風満帆に思えましたが、ここで思わぬ躓きが訪れます。
アマティ計画の中止
アマティの存在を発表し、開発車両も完成間近に迫っていたなか、日本ではバブル経済の崩壊による不況に陥ります。マツダもこの影響を受け、資金繰りに苦労してしまいます。
既に500億円もの費用をアマティに掛けていたものの、これ以上の資金投入は困難であるとみなされ、アマティは表に出ることなく1992年に中止を発表されます。
マツダはこの一件に加えて5チャンネル体制の不振も重なり、深刻な経営困難に陥ってしまいます。
アマティその後
アマティで販売予定だったクルマは、アマティ500がマツダ・ミレーニア(日本ではユーノス800)として販売されたものの、それ以外は全てキャンセルされました。
1992年に中止が発表されて以降、マツダでのアマティの扱いは殆ど黒歴史になっていますが、計画中止から25年の節目には当時の関係者が集まり、25周年を祝っています。
アマティでの導入が計画されていたクルマたち
1991年の発表では2台のセダンを投入するとアナウンスされていましたが、少なくともセダン3車種とクーペ1車種のラインナップを計画していたようです。
ここではアマティから販売を予定していたクルマ4台を取り上げていきます。
アマティ1000
アマティのフラッグシップモデルとして開発されていたアマティ1000は、レクサスLSやインフィニティQ45、アキュラ・レジェンドの対抗馬となるクルマ。
同クラスのライバル車の多くがV6やV8エンジンを搭載していたのに対し、アマティ1000にはV12エンジンの搭載が計画されていました。更にはW12も開発されていたようで、実現していたらフォルクスワーゲンに先駆けての量産例として歴史に名を刻んでいたでしょう。
結局アマティ1000はブランドそのものの計画中止を受けて開発がストップしてしまい、市販されることはありませんでした。
アマティ1000が公に発表された事はありませんが、ネットで検索すると当時のスクープ記事の画像が見つかります。開発はほぼ完了間近だったようで、外観デザインも固まっていました。フロントマスクはユーノスのセダンと共通の意匠になっています。
国内ではユーノス名義のユーノス1000として販売される予定でした。
アマティ500 (ユーノス800/マツダ・ミレーニア)
By IFCAR, Public Domain, Link
アマティのミドルレンジを担うクルマとして計画されていたのがアマティ500です。
アマティ1000と同じくアマティ専用車として開発されていたもう1台のクルマになります。
このクルマは後に日本ではユーノス800、アメリカではマツダ・ミレーニアという名称で販売されました。
ユーノス800で話題になった量産車初となるミラーサイクルエンジンは、アマティでも大きくアピールされるはずでした。
アマティ300 (ユーノス500)
By TTTNIS, Public Domain, Link
アマティにはエントリーモデル「アマティ300」も計画されていました。ベース車はユーノス500です。
インフィニティG20(日産プリメーラ)やアキュラ・インテグラと同クラスにあたります。
アマティ中止後に別ブランドから導入されたアマティ500に対し、アマティ300はそのまま導入が見送られ、ユーノス500のアメリカ進出は実現しませんでした。
ユーノス・コスモ
By 名古屋太郎, CC BY-SA 3.0, Link
意外にも海外での販売がなく、国内専売車だったユーノス・コスモ。しかしながらアマティへ導入する計画があったようです。
一説によると単なるリバッジモデルではなく、ユーノス・コスモをベースとした更に豪華なラグジュアリークーペを開発していたとも言われています。
実現していたらアメリカでレクサスSCやBMW・8シリーズ、リンカーン・マークシリーズなどと競合していたかもしれません。
まとめ
準備の方は恐らくかなり進められていたのにも関わらず、直前で中止されてしまったアマティ。
アマティ1000はほぼ完成が見えていただけに、お蔵入りは勿体無いですね。
かつてマツダがレクサス等に並ぶ高級車レンジに挑もうとしていた事実は興味深い歴史ではないでしょうか。
おすすめの一括査定サービスとは?
今のクルマを少しでも高く売りたいという時に、複数の買取店から買取額を比較できる一括査定サービスが便利です。
しかし申し込むと複数の買取店から営業電話が何度もかかってくるのが煩わしいところです。
ですがそのような電話ラッシュ無く一括査定できるサービスがあります↓
買取店とのやり取りや買取価格の比較をやってくれるので、手間がかからずに高額売却ができておすすめです。